『存在のすべてを』を読みました

ぼくが珍しく作家さんの名前だけで新刊が出たら読んでいる塩田武士さん著の小説『存在のすべてを』を読みました。

存在のすべてを

存在のすべてを

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今回もビビるぐらい面白く、以下あらすじ紹介程度のネタバレがありますので、読む予定の方は以下は読まないでください。

物語は、1991年の12月に子どもの誘拐事件が発生し、事件に対応する刑事さんの物語から始まります。

1つの失敗も許されない現在進行形で進む誘拐事件に万全の体制を整える警察だったのですが、そこに衝撃のしらせが降ってきます。

別の場所で、もう一件の誘拐事件が起きるんです。

警察は、仕方なく捜査員を二手に分けることにします。本来の体制の半分の人員で事件に対応する、犯人からの要求に、身代金の受け渡し、警察の存在を完全に消しながらの捜査。

これらが塩田さん節全開の緻密な描写で、各シーンが目に浮かんでしまい、もはや読む手が止まりません。

もうこれだけで、一冊の小説が書けそうな勢いなのですが、この小説の恐ろしいところは、これがお話の序章なのです。

1件目の誘拐事件は、犯人は捕まえられなかったものの、子どもを無事保護することに成功します。

しかし、2件目の事件は身代金の受け渡しに失敗。犯人側からすれば、子どもを返すメリットが何もない状態で終わってしまいます。

犯人を逮捕できず、子どもも行方不明という最悪の結果となってしまった3年後、突然つれ攫われた子どもが、祖母の家に帰ってきたのでした。

しかも、誘拐当時は母親と再婚相手からのネグレクトと虐待でボロボロだった男の子が、綺麗な身なりで、礼儀作法を身につけていたのです。

ってところで物語の舞台は2021年に飛びます。

主人公は門田さんという新聞記者。30年前の二児同時誘拐事件の頃は新人だったものの、たまたまこの事件の日に近くにいたため現場に駆けつけ、間近で事件を見ていた1人でした。

その後ガンプラという趣味で事件の陣頭指揮をとっていた刑事の中澤さんと仲良くなり、取材をさせてもらっていた過去があります。

そんな中澤さんの訃報が門田さんのもとに届きます。

葬儀で、門田さんは、時効になったあとも中澤さんや当時の関係者が未解決事件の真相を独自に調べていたことを知ります。

そんなとき、週刊誌が「二児誘拐事件の被害者だった子どもが成長しイケメン画家になっていた」という内容のスクープを誌面で報じました。

支部長となり、定年も見えてきていた門田さんはこの件を「自分にとって最後の現場取材」と決めて、調べ始めます。

って感じで物語が転がり始めるんですよ。

もーね、他にも語りたいおもしろポイントがいっぱいあるんですが、ここまでにします。

そして、あとはいつもの読んでみての四方山話なのですが、被害男児が画家になっていた、というところから、門田さんの取材は、日本美術界の政治と裏金の実態をモリモリ暴いていく展開になります。

もちろんフィクションですから、脚色や誇張はあると思うんです。

でもこれ、当時絵が大好きで美術の大学に進学し、学部生という立場だったぼくが、小さな窓から覗き見た景色ととても酷似していました。

「ちょっとあの世界で自分はやっていけないと思ったので就職した」なんて自分の経歴を説明することもあるんですが「それは自分の絵に自信と覚悟がなかった言い訳なんじゃない?」なんて自問自答したことも少なくありません。

そういった視点でも読ませ、考えさせられる、骨太な物語でした。

というか、こんな複雑な展開、よく書けるな…とビビります。