絵を描いてると世界の美しさに気がつく

水彩画の進捗

さて、ここのところ日曜のたびにやってる水彩画の「ちょっとずつ進めているのでいっそメイキングにしてしまおうシリーズ」ですが今日はこんな感じになりました。

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ぼくがイメージしている完成図がなんとなくご覧になった方にも見えてきそうな段階にまできましたでしょうか!?

ちなみに前回はこんな感じだったんですね。

rito.gameha.com

前回までは化粧で言えば下地なんですね。

なので、ここからがすごく楽しいタイミングなんですよ。

 

細かい部分を描いては塗り潰す

細かい部分を描いては塗り潰す

 

…を繰り返して、繰り返して、繰り返してると、あるとき

「おや…!?」

って瞬間があって、ぽわわーんと脳内でイメージしてたものが、突然画面上に現るんです。

この瞬間が、本当に楽しい!

絵を描いてて、たまらない瞬間です。

ぼくの表現したかった「湿度」がちょっと画面から出てきたような気がしてます。

次回は、こういう瞬間を、画面のあちこちに広げていく段階です。

そのあと、仕上げなので、あと2〜3回くらいかなー?と思いますので、次回もお付き合いいただければ幸いです!

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今日のパレットはこんな感じです。

もう何がどうなってるのか、よくわかりませんね。

世界は美しい

…と、突然ロマンチックなことを口走ってしまいましたが、自然のものをスケッチしていると、つくづくそう思います。

動物も植物も「構造」が理にかなってるんですよね。

「すげーな!」と思うと同時にそのことを本当に「美しいな」と思うんです。

かと思えば「無駄なも」のが全くないかといえばそんなこともないんですよね。

ちょっとだけノイズのような部分があったりするんですが、そこが逆に「無機質ではない」っていうか、不完全だからこそなんだか愛着が湧くっていうか、そんな気持ちにもさせてくれて、また見ていて、そして描いていってて楽しくなります。

また、このノイズ的な不完全さっていうのが、長い目で見ると「進化のための実験」だったりするわけだからまた面白いですよね。

一見、完璧に見える人のちょっと抜けてる部分に妙な愛着を持つのも、同じことなのかもしれませんね。

その人にとってノイズのような部分に、逆にまだ見ぬ可能性を感じて「魅力」に映るのかもしれません。

ということは、何かとミスの多いぼくなんて、魅力の塊かもしれませんね。

あ、それは調子に乗ってますか。

そうですか、すみません。

そー言えばインテリアも一緒ですね

「不必要なものが何もない」状態は好きなのですが、「用途がなくてもそこにあるだけで癒される」ってものは飾りたくなります。

あ、でもそれって結局「癒されることがそのものの用途」ってことで不必要ではないってことなんですかね?

 

…とまぁ、こんな感じで、やっぱ絵を描いてるときはとりとめもないことをあれやこれやと考えてるぼくでした。

自分が絵を描きたいために子どもに見せていた、ドラえもんとクレヨンしんちゃんの録画のストックが切れたので今日はここまでにしたいと思います。