先日、回していただいた「ブロガーバトン」を楽しく回答したお話を載せたところ、手書き文字に着目してくださった方が数名いらっしゃいました。
ご覧の通りぼくはアラサーのリーマンにはあるまじきレベルで字が汚いです
ぼくの思い出せる範囲では、小学校1年生の頃には親に字の汚さを指摘されていたように思います。
まだまだ素直だったあの頃は直そうと試みたりもしたのですが、いくら歳を重ねてもぼくの字は綺麗になりませんでした。
「字は綺麗な方が良い」「それだけで印象がいい」「相手に好感を与える」などなど…
総じて言えば「字が綺麗な方が生きていきやすい」と言ったところでしょうか。
しかし
ぼくが鈍感なせいか、周囲に優しい人に恵まれたのか、ぼくは字が汚いことに関して不利益を被ったことがないんですよね。
これは、ぼくがタイミング的に大学入学時にWindows98が出た世代だったこともあったかもしれません。
早い先生はWordやメールでレポート提出を求めてきたのです。
ロスジェネ後半世代だったので(と言い訳させてください)ニート、フリーターも経験しながら4年就活しましたが、その間に履歴書も電子化されていきました。
就職して数年経つと、今度は「電子書籍元年」と言われる年が何年か続き「ペーパーレス」という言葉が徐々に浸透していきます。
そして今年はコロナの影響から、リモートやテレワークが普及し始めいよいよこの流れが加速していってます。
どんどんぼくに優しい世界になっていきます。
将来何が必要になるかなんてわからない
というわけで、今現在ぼくが良かれと思って子どもたちに何かしたとしても、それが将来役に立つのか立たないのか、こればっかりはさっぱりわからないなー、というのが自身の経験から言えることのようです。
そりゃそうですよね。生きてる時代が違うんですから。
というわけで、ぼくは散々「字が汚い」と言われて大きくなりましたが「字の練習する間には絵が描きたい」という思いを貫いて皆さんご存知の通りのおっさんに仕上がったのですが、特に困ることなく今日も楽しく生きています。
とはいえ手書きはアウラが籠っている
まあそうは言っても、芸能人が結婚離婚不倫した時手書きの手紙を各メディアに送る通り、まだまだ手書きにはアウラが籠っていると信じられています。
(個人的には「手書き」だろうが「ファックス」した時点で「電子化」されている気がして、そういった意味ではアウラの耐久力が気になります)
ここ一番って時に手書きを使うってのはやっぱハッとするわけで、今回ぼくがバトンを手書きしたことに「お!」って思っていただけたのアウラのおかげだと思います。
いくらデジタルが便利だといっても、大事な言葉はやっぱり面と向かっていう方がドラマチックです。
あ、でもウィズコロナの時代では目の前でマスク外されるだけで「非常識認定」されるかもしれませんね?
デジタルでなんでも便利になった一方で味気なさがつのり始め、ちょっとしたアナログ回帰ブームが起こっていたところに今回のコロナで、今後どんな文化になっていくのか、とっても興味深いです。