最近あることに気がつきまして。
ぼくが青春を謳歌していたありし日の頃の話なんですが、当時ぼくはいわゆる「斜に構えた世の中わかってるつもりになってるボーイ」で、今思えば「ど…どうでも良いっすよね…」ってことを真剣に悩んで眠れぬ夜を過ごしていたんです。
そんなかつての自分のことを「あの頃おれは中二病だったんだなぁ」と大人になってから振り返るようになってたんですが、最近では、あの頃のぼくの症状のことは「闇落ちしてたと表現するのかな?」って思うようになってきました。
最近の中二病とはなんというか「ここではない別の世界を生きてる人」というか「ボクの考えた最強の武器と魔法を携えて強大な敵と闘ってる人」みたいなそんな使い方になってますよね。
こーいうのも「面黒い」が言葉遊びで「面白い」に転じたようなもんなんでしょうか?
それとも、最初からぼくが勘違いしてたのかな?
世の中に言葉が溢れて、使う人も使う機会も昔に比べて圧倒的に多いから、使い方が変化したり進化するのも昔に比べてものすごく早いのかもしれませんね。
面白いなぁ〜って思います。
一方で、ネットを使って言葉を発信するハードルが下がった現在は、言葉の洪水が起きてますよねぇ。
ぼくはなんか、日中がんばって仕事した日は「もう洪水みたいな文字情報は今日は無理だぁ」ってなって、デジタルガジェットは全て置いて本を読んだりしてます。
電子書籍は電子書籍で良いと思うし、なんならぼくはKindle unlimitedにも課金してる勢なんですが、やっぱ紙の本も良いなって思います。
「その情報、今は欲しくないなぁ」みたいな情報もドンドコ流されてきますよね。
iPhoneを初めて持った当時は、なんかその事が革命的に感じられて、うまく自分のとこに流れてくるよう工夫してましたが、最近は「そんなにいらないなぁ」って思うこともあります。
芸能人の方がコロナにかかった時に謝罪するのとかも、なんか切ないですよね。
「誰でもかかる時はかかるって!」とか思っちゃいます。
まぁ当然、最大限の予防は必要ですが(こーいう補足を予め入れちゃうのも自分で「なんだかなぁ」って思っちゃいますね!)
そんなことあれこれ考えちゃう夜は、本すら閉じて、物置部屋に作った自分の書斎エリア(家の中で1番落ち着く場所です)でボーッとしながら窓から見える近所の家の明かりを眺めたりします。